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孫中山支持者山田純三郎於孫中山死後的意識及其形成背景-討論1930~40年代的中日關係 detail

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孫中山支持者山田純三郎於孫中山死後的意識及其形成背景-討論1930~40年代的中日關係

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詮釋資料說明
文件類型

研討會論文

研討會

紀念孫中山華人文化與當代社會發展國際學術研討會

題名

孫中山支持者山田純三郎於孫中山死後的意識及其形成背景-討論1930~40年代的中日關係

題名(英)

孫文支援者.山田純三郎の孫文死後の意識とその背景について─1930 ~ 40 年代の日中関係 をめぐって

作者
武井義和
期刊

紀念孫中山華人文化與當代社會發展

單元

第四篇 孫中山與政治、社會發展

出版西元年月日

2014/06

頁次

P349-P374

全文內容

  本論文是以孫中山的支持者山田純三郎(1876-1960 年) 在孫中山死後的時期,也就是從1930 年代至40 年代其演講錄與雜誌所顯示的中日關係,其中更加清楚了解他的中日關係,是以孫中山思想的「中日聯盟」、「大亞洲主義」、「白人的壓迫,對白人的防備」為主軸。
  然而,這種認識是受到孫中山於1924 年的「大亞洲主義」演講有極大的影響。在這個演講中表示,為了對受到歐洲壓迫的亞洲民族的獨立,而行中日聯盟是有其存在的必要。本論文指出純三郎將孫中山的思想以自己的方式行理解的可能性。在其理解的精神背景,有戰死於惠州起義的其兄山田良政(1868-1900) 的存在。而純三郎在青年時期曾就讀於東亞同文會所經營的南京同文書院‧ 東亞同文書院時,有接觸他對中國保全以及日清協定等的可能性,而提出推測。
  純三郎在中日戰爭結束後,被國民政府以孫中山的支援者而加以評價的同時,也提及純三郎本身、至晚年對孫中山的仰慕之心都沒有變。

全文內容

  本論は、孫文支援者だった山田純三郎(1876 ~ 1960 年)が孫文死後の時期、すなわち1930 年代から40 年代に示した日中関係観を、講演録や雑誌などから明らかにし、その中で彼の日中関係の理解の方法として、孫文の思想とする「日支聯盟」、「大アジア主義」、「白人からの圧迫、白人からの備え」を軸としていたことも明らかにする。
  だが、そうした認識は1924 年の孫文による「大アジア主義」講演による影響が大きく、その講演からヨーロッパによるアジアの民族抑圧とそれに対する自主独立のための日中聯盟の必要性という形で、純三郎が孫文の思想を自分なりに理解していたものであったという可能性を指摘し、あわせて、そうした理解の精神的背景について、恵州起義で戦死した実兄の山田良政(1868 ~ 1900年)の存在が大きかったこと、純三郎が青年期に東亜同文会が経営する南京同文書院・東亜同文書院に在籍し、中国保全や日清協同などの思想に接触した可能性などを、仮説的に提示する。
  あわせて、純三郎は中日戦争終結後、孫文の支援者として国民政府からも評価されるとともに、純三郎自身、晩年に至るまで孫文を慕う気持ちが決して変わらなかったことにも言及する。

出版者

國立國父紀念館

出版地

臺北市

備註

GPN:1010301073
ISBN:978-986-04-1516-2